お客と利益の作り方ダイアリー -美しいビジネス-

販売力を上げてから集客力をあげること。これ鉄板の方程式。順番間違うと危険。

この資格で食おう!出世しよう!

食えないけどな。出世、出来ないけどな。


資格は取り方までは丁寧に教えてくれる。この資格をとれば「こんな事に役立つよ」「こんな仕事に使えるよ」「転職にも有利だよ」・・・と皆が言う。
僕も実際「資格を取ること」こそが「社会を正しく生き抜くコツ」だと思っていた。
資格という武器を手に入れる事ができれば「戦える世界」がそこにあると。

資格天国日本では「資格」を武器と勘違いしている人が多い。
僕は高卒だから社会に出た時に「資格」をたくさん取ろうと頑張った。入社1年目でもぶっちぎりの点数で複数の資格試験にも受かったし(まあ同期が残念なレベルだけだっただけ)高校時代もいろいろな資格をとった。

しかし。卒業後入った地元の金融機関で上司に言われた一言で気付いた。
「頑張って資格を取っても大きな意味は無い」と。18歳の秋だった。
その上司は10代の僕から見ても明らかに優秀というか、頭がキレる大人だった。
彼は10代の僕にサラリとこう言った。衝撃的な一言だった。

「資格は取って損はないだろう。資格は鎧だからな。自分の身を守るための。」

武器ではなく「鎧」 資格は武器だと思っていた僕は衝撃を受けた。そーかー・・・鎧なんだ。”攻めるために使うものでなく守るために使うもの”なんだ!と。
サラリーマンが出世するには3つの要素がある。どの会社でも同じ。


①わかること ②できること ③教えられること


この3つの「こと」をマスター出来なければ大人は人の上には立てない。
この3つの階段を超えること。


②までが完璧でも残念だけど組織の中では生きられない。そーゆー人は組織を飛び出して生きるしか無い。職人として生きるしかない。

「わかる」とは「理解の階段」を登ることだ。わかるという状態を指す。
いろいろ聞きながら教わりながらOJTとかを通じ「わかる」ようになる。自分の中で「わかった」と思える段階。正確には「分かった気」であるが。

次に登るのが「習得」の階段
つまり「できる」という状態を指す。繰り返し、反復練習によって「カラダ」に覚え込ませる。無意識でも手が動く状態まで到達するかどうか?ここで多くの人は脱落する。たぶんここまでくれば大抵のことは捌ける。優秀と言われる人材になれる。

そして最後の「習熟」の階段
「人に教えられることができる」という状態を指す。
で、ここが超難関。
誰かに教えるということは「相手が何が分からないか?」を理解していないと「教えること」は出来ないからだ。結局自分自身が磨かれるというか勉強になるなーってのがここの階段。「誰かに教える機会」を与えられた時に次の階段が出てくるんだと思う。
オリジナリティとか、個性とかってのはこの先のことであって、最初から個性とか主張するヤツにロクなやつはいない。

 

「わかる」→「出来る」→「教えられる」【状態】

  ||     ||      ||

「理解」 →「習得」 →「習熟」【階段】

 

 ・自分はどの「階段」にいるか?

・状態と階段に整合性はあるか?

 

例えば「出来る」と言いながら実は「理解したという状態」の人が多い。本当の意味での「出来る」ではなく実態は「わかる」の状態に過ぎない。だから話が上手く進まない。
自分で認識している状態と実際の状態が合致していないからだ。

人に何かを教える時に「わかったかな?」と聞く人が多い。しかし仕事では「出来るかな?」と聞いた方がスムーズだ。なぜなら「わかる・わかった」の領域は無茶苦茶広く、ある1点でも「分かった気」になるし、「なんとなく分かった」の状態で先に進んでも苦労が待っているからだ。

 

つまり・・・

状態の段階と理解の段階がズレているとお話にならないということ。
「出来る」といいながら実は理解が出来ていないかったり・・・・的なことは良くあるお話だし。
「STAP細胞はありまーすッ!」といった女子は「わたし、出来ます」と思っていたが実は「理解の階段」を登ったに過ぎず「習得の階段」を超えるにままだまだだったということかもしれない。超えたつもりにはなっていただけで。

 

資格ってのは「鎧」 知識を獲得出来た証拠に過ぎず、それは武器にはならない。


武器となるのは②の階段を超えなければいけない。
資格合格という結果は「理解はしています」という証拠に過ぎない。それは丸腰で戦っているライバルよりは少しは有利で優勢だろう。
でも差がつくのは間違いなく②の階段。②のステージ。

さらに重要なのが
【資格」をとっても「使いかた」までは誰も教えてくれないという事】

取り方は新設丁寧に教えてくれるところは山ほどある。でも「使い方」は自分で考えるしか無い。同じ資格でも使い方・活かし方はバリエーションが豊富、無数ある。


最初は「鎧」だった「資格」というものが、鎧から武器になりうるとすれば[使い方]を知った時だ。

使い方を知るには「考える」しかない。


結局は「考える」という行為って一番大切で、機械やコンピューターが苦手なことなので、ここに長けている大人はどこでも「求められ、活躍できる」

社会ってそんなもんだ。難しくない。
考えない大人は搾取される。だって考えないんだからしょうがない。
考えることを放棄するということは「あなた以外の他の誰か」が考えているわけであり、あなたは”仕事っぽい作業”しかしていないのだから。


どんな時代でも己で考える人を歓迎する。

 


知らないけど。